2014年1月21日火曜日

Stroll around the street

こんにちは! ……Akiraです。

寒さを身をもって感じてこそのCanada! という意見もあると思いますが、昼間から氷点下20度を下回る気温は少々いきすぎではないでしょうか? ちなみに、本日の午前中の体感温度は氷点下30度だそうです♪




素肌を外気にさらすと10分以内に霜焼けになるだろう


 そんな未だかつて聞いたこともないような、乱暴ともとれる注意報が流れるToronto。もはや注意報というよりも、天から渡された引導といった方が近い。それでも人々は日々の生活に追われ、それぞれに残された時間に急き立てられ、その手に何かをつかみ取ろうと必死に足掻く。たとえそれが近づけば消えてしまう蜃気楼と変わらないものであっても。




「Torontoの見所はどこですか?」

 よくこういった質問をされるが、正直わたしにはわからない。「見所」とはつまり、観光者であれば誰しもが一度は訪れるであろう場所、ということだろうか。それとも単純に観光名所のことを指しているのか。いずれにせよ、そのような場所はどこにでも存在しうるし、どこにも存在しえないとも言い換えられる。主観的な判断の違い、あるいは物事の捉え方による問題だ。


















 検索をかけても見つからない。Guidebookにも載っていない。そんな、あるはずの無い場所を求めて街を彷徨う。これもまた、蜃気楼の立ち上る場所を探す行為に似ている。




 Yonge、Spadina、College、Dundas、Queen――多くの人々が集まる通りはいくつもあれど、そこで本当に価値あるものを見つけることは難しい。大衆の中に身を潜めることで個が消失するのと同じく、水増しされた商品は価値も薄まり、やがては消えてなくなる。


















 物質である肉体は通りを徘徊し、形無き意識は己の内側を漂いはじめる。外の世界に無いものは内なる世界に求めればいい。仏陀も言っている。「真実は外にあるのではなく、己の中にのみ存在する」と。























 終わりなき旅を終わらせるために生きるのが人生ならば、何を持ってして生きる糧とすればよいのだろうか。わたしはその問いに対して、ひょっとしたらひとつの答えのようなものを見つけたのかもしれない。




 Internetで簡単に引き出せる情報ではなく、刻一刻と過ぎゆく時とともに積み重ねられる経験と知識。到達点よりもそこへと至る過程それ自体。言うなれば、こうして生きている日々にこそ意味がある。当たり前のようでありながら、立ち止まらないと見えてこないもの。そう、ただ歩き回るだけでは意味がないのだ。

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