いつまでも「SB blog」の名を借りて文章を書くのもおこがましいので、次回より「Akiraの旅日記 Blog(仮)」とでも銘打って別なBlogを立ち上げようと思いますので、今後お暇な方はそちらも覗いてみてくださいね♪ ※Linkは後でこのPageのどこかにこっそり貼っておきます。
古くから人々は時間旅行に憧れを抱き続けている。映画や小説の世界を見渡してみれば、「Time Travel」を題材に扱った作品はいくらでも見つけることが可能だ。EinsteinやNewtonが科学的見地から唱えた概念は別として、時間が非可逆的であることは誰しもが理解しているところだろう。
時の流れは連続的であり、止まることもなければ一定の区間を飛び越えることもない。いくら願おうと早送りも巻き戻しも出来ない。不変の速度を保ちながら、ただ無常に未来へと向かって流れてゆく。例外は無い。世に言う万物流転の法則というものだ。それでいてなお、人々は時間旅行に魅了され続ける。
De LoreanのようなTime Machineは存在しないが、今まさにこの瞬間も時は流れ、望むと望まざるとにかかわらず、すべての人々は着実に未来へと向かって時間旅行をしていると言えよう。ではそれとは反対に、過去へと旅する術はないのだろうか。
誰であろうとみな、少なくとも一度は人生を振り返ったり、遠い昔の記憶に思いを馳せたりした経験があるはずだ。言うなればそれは、意識だけを過去へと飛ばす肉体を伴わない時間旅行。同じ時間をともに過ごした家族や友人たちが集まった途端、思い出という名の贅沢なTime Travel Tourが始まることは珍しいことではない。
だからと言って、わたしが過去にばかり捕われる懐古主義者では決してないことをここに断っておく。Backpackを背負って地上の世界の一部を旅していた頃、同時にわたしは己の内なる世界をも彷徨い歩いていた。そして、後者のそれはまだ現在進行形で続いており、わたしが消えてなくなるその瞬間が来るまで終わることはないだろう。
孤独なInner Spaceをさすらいながら、わたしは今日もTorontoの路上をひとり歩く。吹きつける氷点下の風を正面に受け、俯きつつも守り続けてきた前傾姿勢だけは崩さずに。